デニムミニの少女

MiniActive > バーチャル > デニムミニの少女 > 2章

第2章 ラテスケンス

8. 朝の散策者

涼しくて気持ちのいい朝だ。
山之内は自分の経営する道場の門をくぐって外に出ると、竹ぼうきで道を掃き始めた。
山之内の道場は商店街のはずれにあり、道場の門前はあまり車通りの多くない道路だった。
路上の落ち葉を竹ぼうきでかき集めながら、山之内は一週間前に自分の道場を訪れた少女のことを思い出していた。
あの日、警察が道場にやってきた。
警察の話によると、道場に通う三人の男が、あの少女のあとをつけ、襲って、逮捕されたのだという。
幸いなことに未遂で終わったが、男たちは少女を殴ったり、首を絞めたりしたそうで、重い罪に問われることは間違いない。
あの男たちは破門にしたが、この道場に来たことがきっかけで襲われてしまったあの少女は、もう二度とここに来ることはないだろうなと考え、山之内はとても残念だと思わずにはいられなかった。
そういうわけで、せっせと道路を掃除する山之内の目の前に、いつのまにか美那子が立っているのを見たときは、心底驚いた。

「きみは、先週の…」
そこでことばを止めている山之内のあとをひきとるように、美那子が言った。
「はい、先週見学に来た白神です、おはようございます」
山之内は突然の少女の来訪にとまどいながらも朝のあいさつを返し、そのあと何と言っていいかわからず、少女の顔を見つめて次のことばを待った。
美那子はすぐに話し始めた。
「あのあと、先生が倒れて大変なときに、ろくなあいさつもせずに帰ってしまったのが、ずっと気になっていました。
 私も気が動転していたとはいえ、失礼なことをして申し訳ありませんでした」
少女がわざわざそんなことを謝るために来てくれたことに、山之内は軽く感動を覚えた。
山之内は言った。
「いやいや、あの日あなたが大変なめにあわれたと警察から聞きました。
 またわざわざ来てもらって、逆にこちらが申し訳ない気持ちですよ。
 とても怖い思いをなさったでしょうに…」
それを聞き、美那子はやや寂しげに微笑んでみせた。
「本当に怖かったです。
 でも家族や友だちのおかげで、なんとか立ち直れそうです」
山之内はそのことばを心の底から喜んだ。
「それはよかった。
 元気になってよかった…」
少女の回復をまるで自分のことのように喜んでいるらしい山之内を見て、美那子は、ある迷っていた事がらを決断した。
そして、思い切ってそれを口に出した。
「あの…、この道場に通わせていただいてもいいでしょうか」

一週間前。
美那子は自分の話を信じてもらうため、気は進まなかったが、警察の目の前で地面から大木を引きぬいてみせた。
警察は美那子のとんでもない供述を信じないわけにはいかなくなってしまった。
少女のたっての願いで、少女の能力のことがマスコミに伝えられたりすることはなかったが、警察署内と、道場の門徒の一部の間では、17歳の少女が三人の屈強な男を簡単に撃退したという伝説が、噂される事態となった。
その噂は山之内の耳にも入っていた。

「それは、大歓迎ですが…」
そう言って山之内は、美那子の『能力』のことを口に出していいものかどうかを迷った。
察しのいい少女は、山之内の必要以上にとまどった様子から、山之内の心に何が浮かんでいるのかを把握した。
「私が異星人からもらった力のことをお聞きになったんですね」
山之内の顔をじっと見つめながらそう言う少女に、山之内は答えた。
「あのスーツの男があなたに力を注ぎこんだのを、弟子たちが見たそうです」
美那子は、そのことばを訂正した。
「正確には、私の服に、注ぎこんだんです」
そして、こうつけたした。
「あの服装じゃないときは、私はただの高校二年生です」
山之内はあらためて、今の少女の服装を眺めた。
少女の雰囲気は先週とはまったく違っていた。
白いゆったりとした長そでのブラウスに、色あせて白っぽくなったデニムのミニスカート。
足にはくるぶしまでの白いソックスと、白いスニーカー。
よく似合っていて、その若い輝きはまるで妖精のようだと思ったが、山之内はあまり長く眺めるのも失礼だと気づき、にこりと笑って、こう言った。
「あなたさえかまわないなら、ぜひ道場に来てください。
 それに、日本の武道はあなたのような礼儀正しい人にこそふさわしい」
それを聞くと美那子は嬉しそうな顔になり、丁寧に礼を言った。
しかし、少女の顔はすぐに真剣な表情に戻り、少し何かを考えてから言った。
「異星の艦隊が地球の上空まで到着したらしいですね」
山之内もそのニュースは聞いていた。
「そのようです。これからどうなるんでしょうね」
そう言いながら山之内は、頭上の異星の者たちを探そうとするかのように、空を見上げた。
美那子も晴れた空を見上げながら、
「あのスーツの男みたいな異星人が、たくさん襲ってきたら…」
とつぶやいた。
山之内は心の中で、そうなったら太刀打ちできるのはこの少女だけかもしれないと思ったが、それを口に出すのはひかえ、代わりにこう言った。
「友好的な異星人だといいんですがね」
美那子は、そうではない可能性が高いことを、ケレールが故郷の星に帰って行った経緯から気づいていたが、それは誰にも言わないことにしていた。
「そうですね」
心からそう望みながら、少女は山之内に賛同した。

気持ちがもう少し回復したらまた必ず道場にやってくると約束し、少女は山之内のもとを去って行った。
確かな足どりで歩いて行く少女のうしろ姿を見送りながら、山之内は考えた。
《事件から受けた心の傷は、一生少女の心に残るのかもしれない。
 しかし、少女があの男たちを撃退できて、本当によかった…。
 このあとの少女の人生が、ずっと幸せであることを祈ろう》
山之内は少女をじっと見守るかのように立ちつくしていたが、やがて少女の姿ははるか遠くの道路の先で見えなくなったので、ふたたび竹ぼうきで路上の落ち葉を集め始めた。
《それにしても、あんな女の子に超人的な力が宿ったなんて、信じられない。
 しかも、先週のあの服装のときだけに発揮できる力というのも奇妙な話だ…》
山之内は先週の美那子の服装を頭に思い浮かべた。
《そういえば、先週もあの子はデニムのミニスカートだったな…。
 今日のよりもっと濃い青色だったから、別のスカートに違いないが。
 きっとあの子はデニムミニが好きなんだろう》
そのとき、山之内のうしろから声がした。
「あの、ちょっとすみません」
山之内がふり返ると、そこには見知らぬ若い女性が立っていた。
一目見て山之内はその女性を美人だと思った。
背丈は今去って行った美那子と同じぐらいだが、年齢は二十代の中ごろとみえて、その顔はだいぶ大人びており、クールな印象を与えた。
特に、その女性が白いハーフトップを身にまとっていたこと、つまり上半分だけのタンクトップで腰まわりや肩は露出していたことが、山之内に強烈な印象を残した。
女性は脚にぴったり吸いつくようなジーンズと低めのハイヒールを履いていたが、上半身の雰囲気とよくバランスが取れていた。
手には革製のトートバッグを持っている。
都心のあたりならいざ知らず、こんな郊外の商店街のはずれでは、あまり見かけない服装の女性といえた。
「おはようございます。何かご用でしょうか」
山之内が丁寧にあいさつしてから聞くと、女性は言った。
「あなたは武道をやっているんですよね」
山之内は目の前の自分の道場の方を手のひらで示して、
「ええ、この道場で教えています」
と答えた。
女性は、手に持っていたトートバッグから黒っぽい山高帽を取り出した。
そして、念を押すかのようにもう一度質問した。
「毎日体を鍛えてらっしゃるということですね?」
山之内は少し奇妙だなと思い始めながらも、
「ええ、まあ…体が基本ですからね」
と笑顔で言った。
女性は手に持った山高帽を山之内に差し出した。
「この帽子をかぶっていただけませんか」
見知らぬ若い女性の唐突な申し出に、山之内は驚いた。
「なぜです?」
思わず山之内が訪ねると、女性は山之内に体を近づけてきた。
「私の体を触ってかまいません…キスしてもかまいません」
山之内は女性の言っている内容にただならぬ異様さを覚え、本能的にあとずさった。
「…だから、この帽子をかぶっていただけませんか」
そう言うなり女性が山高帽を持つ手を持ち上げ、山之内の頭にそれをかぶせようとしてきたので、山之内はさっとその場から飛びのいた。
女性は山之内を悲しそうに見つめた。
「私はあなたのタイプではないのですね?」
山之内は女性の質問には答えず、逆に自分から尋ねた。
「いったいあなたは何をなさっているんです?
 あなたは誰なんです?」
女性はいったん山高帽を持つ手を下げて、答えた。
「私の名前は、春野麗…」
山之内はこの春野と名乗る女性が次のことばを発するのを待った。
女性は山高帽をもとのバッグの中にしまった。
「あなたがこの帽子をかぶらないなら、用はありません」
そう言うと、女性は山之内にくるりと背を向け商店街の方向に歩き出し、そのまま角を曲がって見えなくなってしまった。
山之内はぼう然と、その春野という女性が姿を消した方角を眺め続けた。

帰宅しようと一度は自宅の方角に歩き始めた美那子だったが、途中で気が変わり、方向転換した。
時間もあるので、気晴らしに街の中をぶらぶら歩いてみようと思ったのだった。
行ってみると、休日の朝の駅周辺は意外と人が多くにぎやかだった。
美那子はゆっくり歩きながら、街の明るい雰囲気を楽しんだ。
やがて、美那子がふと前方を見ると、ちょっと気になる格好をした女性のうしろ姿が目に入った。
その女性は白いハーフトップを身にまとい、肩と腰のあたりの肌を露出させていて、脚にはぴったりはりつくようなジーンズを履いている。
美那子はそれを見て、少し人目をひく服装だが、よく似合っていて格好いいと思った。
その女性の手には、革製のトートバッグとともに、どこかの洋品店の買いもの袋がぶら下がっていた。
今その辺のお店で洋服でも買ってきたばかりという雰囲気だ。
見ていると女性は通りかかった一軒のカフェに入店した。
美那子は少し考え、自分も何か飲み物でも頼んでゆっくりしようと思い立ち、女性のあとを追うように、同じカフェの中へと足を踏み入れた。

9. カフェの客

美那子がカフェに入ってみると、店の奥で多くの客が飲みものや会話を楽しんでいるのが見えた。
五十近くあると見られる席のうち半分ほどが空いているようだったので、美那子も入り口近くの注文カウンターで飲みものをたのみ、お金を払うと、カウンターを少し進んだところで注文の品が出てくるのを待った。
待っているあいだにそれとなく店内を見まわすと、先ほどの白いハーフトップの女性が店の奥の壁際の席に座っているのが見えた。
やがて出てきた飲みものを受け取り、店の奥へと進んだ美那子は、同じ壁際だが白いハーフトップの女性とは少し離れた場所の、小さなテーブル席に座った。
美那子の隣りのテーブル席には、高校生と思われる男女の二人が向かい合って座っていたが、美那子が席に近づいてきたときに、その男の方がちらりと美那子の顔とスカートのあたりを見た。
それに気づいた相手の女の方も、美那子の姿をちらりと見た。
ミニスカートを履いてるときにはよくあることなので、美那子は特に気にしなかった。
美那子から見てその反対側の隣りのテーブル席には、体の小さな老婆がひとりで座っていた。
老婆はテーブルの上に何も置かず、じっと入り口の方を眺めながら座っていたが、美那子が席につくやいなや、美那子に話しかけてきた。
「すまないですがね、お嬢ちゃん、コーヒーを買ってきてくれませんか」
美那子がそちらを見ると、老婆が手に持った千円札をこちらに差し出していた。
こんな老齢では一度立ち上がるのも大変なのだろうと察し、美那子はとくにためらう様子も見せずに、
「いいですよ」
と言ってすぐに立ち上がった。
今買ったばかりの飲みものはテーブルに置いたまま、自分のポシェットだけ肩にかけると、老婆の差し出すお金を受け取りながら、
「普通のコーヒーでいいんですか」
と確認した。
老婆は微笑みながら、うんうんとうなずいた。

美那子が老婆のコーヒーを持って注文カウンターから戻ってくると、ふたたび隣りのテーブルの男の方がちらりと美那子のスカートのあたりを見た。
美那子はいったん自分の席を通りこして老婆のテーブルまで行き、「どうぞ」と言いながらコーヒーとお釣りを置いてやった。
老婆は美那子に微笑んで、
「ありがとね。あんたは優しい子だね」
と言うと、さっそくコーヒーにミルクを入れ始めた。
美那子はあらためて、老婆と男女二人のあいだのテーブル席に腰をおろした。
美那子が腰かける瞬間にも、隣りの席の男は美那子のスカートのあたりをちらりと見た。

テーブルとテーブルは接近しており、隣りの男女ふたりの会話は美那子にすべてはっきりと聞こえてきた。
美那子が最初そのふたりを見たときは、以前からつきあっているカップルのように見えたのだが、隣りでふたりの話を耳にしていると、ふたりは先ほど初めて出会ったばかりだということがわかった。
「女の方から声かけてくるなんて、俺、初めてだよ」
男の方が言うと、女の方は照れくさそうに、
「逆ナンっていうことになるのかな…」
と言った。
その後ふたりがお互いの名前を教えあうのが聞こえ、何の関係もない美那子にも、男の方が「ヒロト」、女の方が「マイカ」という名前だとわかった。
さらにそのあとの会話で、最初の美那子の印象どおり、ふたりとも高校生であることもわかった。
ヒロトとマイカはしばらく高校生らしい他愛もない会話を続けていた。
聞きたくなくてもひたすら聞こえてくるふたりの会話から、美那子は、このヒロトという男が普段から女性を扱いなれているという印象を受けた。
対するマイカの方は、今まであまり男性と接したことはないのかもしれない、と美那子に思わせた。
しばらくすると、マイカが自分の荷物から何かを取りだして、言った。
「あのさあ、よかったらこの帽子、かぶってくれない?」
美那子が気になって思わず横目で確認すると、それはグレーの男性用キャップだった。
野球帽のようにも見えたが、どちらかというと少ししゃれたデザインだった。
ヒロトはそれを手に取り、縦方向や横方向にまわしながら確認すると、
「いいけど、どうしたの、これ?」
と聞いた。
そのとき突然、美那子のもう片方の隣りに座っていた老婆が、美那子の耳に口を近づけて言った。
「逃げた方がいいよ」
美那子は驚いて老婆の方を見た。
しかし、その忠告は少し遅すぎた。
美那子が顔を向けている老婆の方とは反対側の席で、誰かが勢いよく立ち上がる気配がした。
美那子がとっさにそちら側に顔を向けたと同時に、ヒロトが美那子の片脚の足首をつかんで、高く持ち上げた。
美那子はバランスを崩し、座っていた椅子から転げ落ちた。
床に転げ落ちる美那子にあたったテーブルが、倒れて大きな音を上げた。
ヒロトに足首をつかまれたまま床の上に仰向けに倒れた美那子は、何が起こっているのかわからぬまま、ヒロトの顔を見上げた。
ヒロトは頭にグレーのキャップをかぶっていた。
キャップがつくる影がその顔を覆い、少し暗くしていたが、その顔つきは、今まで隣りの席に座っていた少年のものとは、とうてい思えなかった。
ヒロトは両目を大きく見開き、口もとをだらしなくゆがめて笑っていたのだ。
ヒロトの表情は、それを見た美那子にすさまじい恐怖を与えた。
立ち上がろうにも、足首をつかまれているのと、動揺しているのとで、うまく体が動かない。
ヒロトが声を出した。
「店に入ってきたときからお前のことが気になっていたんだ」
そう言うと、ヒロトはつかんだ美那子の片足の足首を、美那子の顔の上あたりまでもっていき、そのまま床の方に押し下げた。
急激に脚を開かれた美那子は、その痛みに悲鳴を上げた。
ヒロトは大きく開かれた美那子のデニムスカートの中を凝視しながら、また声を出した。
「こうしたかったんだ」
異変に気づいた周辺の客が、美那子とヒロトの近くに集まってきた。
明らかに、少女が男に襲われている。
客のうちのひとりの巨体の男が、ヒロトを制止しようと、ヒロトに近づいた。
しかし、巨体の男はなぜかすぐにその場に倒れこんで、その腹に手をあててうめき声を上げた。
周囲の人々はざわめいた。
ヒロトが巨体の男を攻撃したのだろうか。
しかし、その攻撃は誰にも見えなかった。
美那子は驚愕した。
《これは…ケレールのときと同じ…?》
続けて、別の若い男がヒロトに近づいた。
その若い男もまた、巨体の男の隣りに倒れてうめき声を上げる結果となった。
美那子は、間違いないと思った。
《このヒロトという男は異星人の力を持っている!》
ヒロトは、仰向けに倒れた美那子の片脚を上げて開脚させた状態のまま、美那子の腰の上あたりに馬乗りになった。
美那子は、今さらながら、ケレールの力が注がれた服を着て来なかったことを後悔した。
先週のあのとき以来、美那子はあの服を一度も着ていなかった。
あれを着なくてはいけない状況には、二度とならないことを望んでいたからだ。
《またこんなことになるなんて…》
絶望が美那子の心を覆い始めた。
いまやヒロトは美那子の白いブラウスに手をかけて、力まかせに引きちぎり始めた。
ブラウスは細切れに破れて辺りに散った。
美那子の上半身を覆うものは胸もとの白いブラジャーだけとなり、美那子は必死に両腕で胸もとを隠した。
だが、ヒロトは美那子の手首をつかみ、その腕を胸もとから引き離した。
ヒロトの手が伸び、まさに少女のブラジャーがはぎ取られると思われた次の瞬間、美那子に馬乗りになっていたヒロトの体が宙に浮き、そのまま美那子の横の床へと叩きつけられた。
美那子はあわてて身を起こし、ふたたび両腕で自分の胸もとを隠すと、ヒロトの方を見た。
床に叩きつけられたヒロトの頭にはすでにキャップはなく、代わりにヒロトの頭の髪の毛をつかんでいるのは、先ほど美那子の隣りに座っていた老婆だった。

10. 助けられた少女

ヒロトに襲われる美那子を救ったのが、体の小さな老婆であることを、カフェの店内の多くの客が目撃した。
その弱々しい細腕のどこに、男ひとりを持ち上げる力があったのかと、誰もが驚愕のまなざしを老婆に向けていた。
だが、それが老婆の限界のようだった。
老婆はまるで今すべての力を使い果たしたかのように、その場に倒れこんだのだ。
取り囲む客の何人かが、床にうつ伏せになった老婆に駆けよったが、老婆は小さな声で言った。
「早く逃げな」
それと同時に、老婆の隣りに倒れていたヒロトがまた動き始めた。
老婆の動きに圧倒され、つかの間の静寂に包まれていた店内が、またざわめき始めた。
先ほどヒロトがふたりの大男を一瞬で倒してしまったのを見てしまったせいか、ヒロトをおさえこもうとする勇気のある者は、そこにはいないようだった。
老婆を案じて駆けよってきていた数人も、ヒロトを恐れてその場を離れた。
美那子はあわてて立ち上がった。
そして、自分を助けてくれた老婆が気になりながらも、ブラウスがはぎ取られてブラジャーだけになった自分の上半身をちらちらと見ている人が何人かいることもあり、胸もとを両腕で隠しながらカフェの入り口へと向かった。
だが、入り口はこの騒ぎで人だかりができており、とても通り抜けられそうになかった。
美那子は注文カウンターの裏側にまわりこみ、その陰に身を隠した。
どこかでカフェの店員が警察に電話連絡している声が聞こえた。
そっと店の奥をのぞくと、ヒロトは身を起こし、床に落ちていたグレーのキャップを拾い上げるところだった。
美那子は思った。
《あのキャップに異星人の力が宿ってるとしか考えられない。
 あれをかぶったとたんにあのヒロトという少年は襲いかかってきた…》
美那子は、あのキャップをヒロトに手渡したマイカという少女の姿を、店内を見わたして探してみたが、どこにもその姿は見えなかった。
ヒロトがふたたび頭にキャップをかぶったのが見えたので、美那子はカウンターの陰でさらに姿勢を低くした。
そのとき、美那子の耳もとで女性の声がした。
「そんな格好じゃ、かわいそうだから、これ着ていいよ」
美那子が隣りを見ると、そこには白いハーフトップを着た女性が、その手に白い衣類を持って美那子の方に差し出しながら、しゃがんでいた。
外で美那子が見かけて、このカフェに入るきっかけとなった、あの女性だった。
「これ、さっき買ったばっかりだけど、こういうときは女同士、助け合わないとね」
そう言いながら、ハーフトップの女性はもう片方の手で洋品店の買いもの袋を持ち上げて揺らしていた。
美那子は丁寧に礼を言った。
「ご親切にありがとうございます…おことばに甘えさせていただきます…後日洗って返しますので…」
美那子が白い衣類を受け取りながら言うと、ハーフトップの女性は手のひらを横に何度か振り、
「こんなもの返さなくていいんだよ、ただ、私とペアルックみたいになっちゃうけど、そこは我慢してね」
と言った。
女性にわたされたものを美那子が身につけてみると、確かに今女性が着ているのと同じような、白いハーフトップだった。
ただ、女性のものよりもさらに布の面積が小さく、美那子の胸の上下の肌は女性よりもだいぶ露出していた。
美那子は少し恥ずかしいと思ったが、それでもブラジャーのままでいるよりはこの方が断然ありがたかった。
女性は申し訳なさそうに、自分のハーフトップを指さしながらつけ加えた。
「私の着てるこれは魅力が足りないことが今朝わかったから、もっと刺激的なのをと思ってそれ買ったんだけど…あんたそれすごく似合うね…サイズもぴったりだし…」
超人的な力を持った狂暴なヒロトが店内にいるというのに、目の前の女性はあまりそれを恐れていないようだと、美那子は感じた。
かすかな違和感を抱きながら美那子は女性の話を聞いていたが、女性は急にことばを切り、不思議そうに美那子の顔を見つめて、質問した。
「ところであんた…それ着て、何かそわそわしたりしないの?」
美那子はあわてて答えた。
「え、あ、こんな露出が多いのは初めてですけど、とてもありがたいです」
それを聞いても女性は納得がいってない様子で、
「いや、そうじゃなくてね…」
と言うと、少し考えてから、美那子にふたたび質問した。
「そぐそこにこの店のレジがあるけど、レジが開けられたら、あんた、中のお金を何に使う?」
突然の奇妙な質問に驚きながらも、美那子は言った。
「そんな…レジのお金を取るなんてことは…」
女性は口をぽかんと開けて美那子の顔を見つめた。
やがて、美那子の着ているハーフトップが確かに自分があげたものだと確認するかのように、美那子の胸を覆う白い布を手で触りながら、
「おかしいね…こんな人間は初めて見た…」
とつぶやいた。
美那子が、それはどういう意味なのかと尋ねようとしたとき、店内の騒がしさが一段と増した。
それと同時に、注文カウンターの上から、誰かの顔が美那子の方をのぞき込んだ。
はっとして美那子が見上げると、そこにいたのはグレーのキャップをかぶったヒロトだった。
しゃがんでいた美那子は驚いて体勢をくずし、その場にしりもちをついた。
美那子のその姿を見て、ヒロトはふたたび口もとをにやりとゆがめた。
しりもちをついた姿勢のせいで、美那子のミニスカートの中の下着が、カウンターごしに見下ろしているヒロトにもはっきりと見えていた。
脚と脚の間の白い布をあらわにしながらこちらを見上げてあせっている少女に、ヒロトは下品な笑い声を上げて、
「やっぱ、うまそうだ」
と言った。
わらにもすがる気持ちで美那子は隣りの女性の方を見た。
だが、今まで隣りにいたはずの女性の姿は、もうそこにはなかった。
美那子はあっけにとられたが、今はそれどころではない。
《私もとにかく、逃げなきゃ》
美那子は立ち上がろうとしたが、カウンターに身を乗り出したヒロトの両手が上から伸びてきて、上半身を起こしたばかりの美那子の両脇をつかんだ。
そしてヒロトの手が美那子の胸のハーフトップをめくり上げようとしているのに気づき、とっさに美那子は自分の両手を頭上に伸ばし、そこにあったヒロトのキャップをつかんで、引っぱった。
ヒロトの頭からキャップが外れた。
美那子の白いハーフトップをつかんでいたヒロトの手がいったん引っこめられ、ヒロトの顔からは不気味な笑みが消えたが、代わりにその顔を覆ったのは、すさまじい怒りの表情だった。
美那子の手の中にあるグレーのキャップを見下ろして、ヒロトは大声を上げた。
「かえせ」
ヒロトはふたたびカウンターごしに美那子をつかもうと手を伸ばしてきた。
美那子はすばやく注文カウンターの内側にあった扉のひとつを開け、その中にグレーのキャップを放りこむと、またすぐに扉を閉めた。
それを見たヒロトは注文カウンターの上に飛び乗り、カウンターの内側へ飛び下りようとした。
ヒロトがその動作をする隙に美那子は立ち上がり、その場から数歩離れることができた。
たとえあのキャップを脱いで異星人の能力がなくなったとしても、ヒロトは高校生の男であり、美那子は筋力ではヒロトに絶対にかなわないと思った。
だが、ヒロトがキャップをかぶっているときと比べれば、状況は格段にいいはずだ。
ヒロトが注文カウンターから内側に飛び下りた瞬間を狙って、美那子は助走をつけて思いきりヒロトに体当たりした。
勢いをつけた少女の体当たりはヒロトを吹っ飛ばし、ヒロトはカウンターのはずれにあった壁に大きな音をたてて激突した。
美那子は急いでカウンターの内側の先ほどの扉を開け、中のグレーのキャップを手にとり、店の入り口の方向へ走った。
入り口でたむろしていた人々はすでに全員外に逃げてしまっていたが、入り口の手で触れて開けるタイプの自動ドアがなぜか反応せず、美那子はなかなか外に出られなかった。
《こんなときに限って…》
美那子はあせりながら後ろを振りかえった。
そして、何かおかしいと思った。
壁の前で倒れているヒロトは、まったく動いていない。
体重も軽めの自分のような普通の女子高生の体当たりで、ヒロトのような男に気を失わせるほどのダメージを与えられるとは思えない。
しかし、ヒロトが倒れて一分以上が経過しても、ヒロトの体はまったく動く気配がなかった。
美那子はそれまで気がつかなかったが、見わたしてみるとカフェの店内には大勢の客が倒れていた。
ヒロトが店の奥からカウンターまでやって来るときに、ヒロトを止めようとした人がいたのか、それとも、逃げ遅れた人がヒロトにつかまってしまったのか。
どちらにしても、どの人もうめき声を上げたり動いたりしているのがわかったので、致命的なけがを負ったわけではなさそうだと思い、美那子はわずかにほっとした。
壁ぎわに避難してヒロトに襲われず無事だった人々も店内には十数人おり、そのうちのひとりの体格のいい男が、倒れているヒロトの方におそるおそる近寄って行った。
今のヒロトはキャップを脱いでいるので普通の人間の力しか出せないはずだ。
体格差から考えて、今近づいている大男なら、たとえヒロトが暴れてもおさえこんでくれそうだと思い、美那子は黙ってその様子を見つめた。
大男が指でヒロトのまぶたを開けて眼球の動きを確認したが、ヒロトは演技ではなく本当に気絶しているようだった。
大男は美那子の方に顔を向けて、微笑んだ
「当たりどころがすばらしく良かったんですよ、ナイスタックルです」
そう言った大男はなぜかそのまま美那子の胸もとを見つめていた。
美那子ははっとして、ヒロトにずり上げられて胸の下ぎりぎりの位置にかろうじてとどまっていた白いハーフトップを、下げて元に戻した。

大男は、カフェの店員が持ってきた荷造り紐を使い、気絶したヒロトの両手を背中側にまわして縛り始めた。
自分の体当たりがヒロトを簡単に倒してしまったことを不思議に思いながらも、美那子は自分を助けてくれた老婆が気になり、店の奥に戻った。
老婆は仰向けに寝かされており、その体には誰かの上着がかけられていた。
「お婆さん、大丈夫ですか」
美那子がそう声をかけると、老婆は目を閉じたまま声を出した。
「ああ、お嬢ちゃん無事だったかい」
老婆の声はおだやかだったが、美那子はもう一度聞かずにはいられなかった。
「はい、お婆さんこそ、大丈夫なんですか」
すると老婆は目を閉じたまま微笑んで言った。
「残された体力を全部使っちまったかな…。
 でも最後にあんたみたいな心の優しいお嬢ちゃんを助けられてよかったよ」
老婆の「最後に」ということばに美那子は少なからず違和感を覚えた。
だが、美那子の頭の中には、さらに気になることがらが浮かんでいた。
この老婆が、キャップをかぶった状態のヒロトを攻撃できたことを、思い出していたのだ。
美那子はしばらく迷ったがどうしても腑に落ちず、とうとうこう尋ねた。
「お婆さんはもしかして、ケレールさんの知り合いなんですか」
老婆が目を開けた。
そして美那子の方に顔を傾けると、美那子の顔をじっと見つめた。
美那子は老婆の返事を待った。
やがて、老婆は言った。
「ケレールが力を与えた少女ってのは、もしかしてあんたかい」
美那子は自分がぼんやり推測していたことが事実であったことを悟った。
美那子が返事をする前に、老婆は続けて言った。
「ヒノキザカ1020の5を訪ねなさい」
美那子は驚いて、意味もわからず、
「ヒノキザカ1020の5?」
と繰り返した。
老婆は二回ほどうなずいてみせ、ふたたび目を閉じ、そのあとは話すことも動くこともしなくなった。
美那子は急に不安になり、老婆の手首に自分の指をあててみた。
老婆の脈はすでになかった。

11. 力に驚く者

数分後にカフェに到着した警察が、気を失ったままのヒロトを連行した。
多くの目撃者がヒロトの暴行の様子を語り、美那子もまたカフェの店内で事情聴取を受けた。
店内は被害者と目撃者と救急隊員、そして警察が入り乱れ、混とんとしていた。
美那子は自分が襲われたこともショックだったが、自分を助けてくれた老婆の突然の死に、さらなる衝撃を受けていた。
事情聴取を受けた席で、救急隊員が肩にかけてくれた毛布にくるまり、美那子は老婆のことを考えながらしばらく宙を見つめ、ぼう然としていた。
美那子の目の前のテーブルの上には、ヒロトの頭から奪ったグレーのキャップが置かれていた。
やがて背後から声がした。
「白神さん?」
美那子が振りかえると、そこには暗い色のレディーススーツを着た若い女性が立っており、美那子はその女性の優しげな顔に、見覚えがあった。
「あ、九条さん」
そう言って美那子はすぐに立ち上がろうとしたが、九条と呼ばれたその女性は手のひらを美那子の方に向けて押しとどめるようなしぐさをした。
九条は、先週美那子が三人の男に襲われた事件の取り調べの際に、いろいろ美那子を気づかって親切にしてくれた女性警察官だった。
「もしかしてさっき男に襲われた被害者って白神さんだったの?」
少し驚いた様子でそう言いながら九条は、グレーのキャップの乗った小さなテーブルをはさんだ、美那子の目の前の席に座った。
「はい…」
美那子は小さな声で答え、二週連続でこんな事件に巻き込まれた自分を九条はどう思っているのだろうかと心配になった。
しかし、九条はやわらかな声で、こう言った。
「大変だったわね…けがはないの?」
美那子はすぐに、
「はい、椅子から落ちたときに少し腰を打っただけで、痛みもそれほどありません」
と答えた。
九条は優しい笑顔で美那子の無事を喜んでくれた。
「それは安心したわ……あなた今日は…」
そこまで言って、九条はその先を言うかどうか迷っているようだった。
気になった美那子が、
「何です?」
と促すと、九条はゆっくりと弱めの口調で言った。
「…今日はスーパーマンじゃなかったのね」
警察内の人間は皆、異星人から超人的な能力をもらった少女のことは知っていた。
特に事件の直後に美那子の世話をしてくれた九条は、美那子の能力について最も詳しい人間のひとりであり、あのブレザーやデニムスカートを着用しているときだけ美那子が能力を発揮できることや、余計な衣類を身につけるとその能力が消失してしまうことなども知っていた。
美那子は悲しげに微笑んで言った。
「できたら、あの服は二度と着なくて済むことを、願ってました」
少女の率直な気持ちを聞いた九条は、申し訳なさそうな表情になって何度か小刻みにうなずくと、こう言った
「そうよね。あなたには暴力の世界は似合わないし、私もあなたには普通の女の子の人生を送ってほしいと思ってる」
美那子は九条が共感してくれたことで緊張がほぐれ、思わず今心の中にあることを口に出した。
「さっき私を助けてくれたお婆さんが、亡くなってしまったんです…」
そこから先は、あふれ出すように今日起こったことを話す美那子のことばが続いた。
マイカという女子高生がグレーのキャップをヒロトにわたしたことや、そのキャップをかぶったとたんにヒロトが襲いかかってきたこと、それから、老婆がケレールを知っていたことや、老婆が最後に言った謎の住所のことなどを、すべて九条に話したのだった。
「この帽子をかぶったら男が豹変したの…?」
美那子が話しおわると、九条はそう言って目の前に置かれたグレーのキャップを手に取った。
少ししゃれたデザインではあるが、よく店で見かけるような普通の男性用キャップだと、九条は思った。
美那子は今の自分を取り囲むたくさんの謎を少しでも解消したい気持ちで、言ってみた。
「その帽子にも異星人の力が注ぎ込まれているんでしょうか…」
しかし、九条は冷静だった。
「何かの力を秘めてるとしても、あなたが持ってる服とは、ちょっと事情が違うわね。
 あなたはあの服を着ても突然狂暴になったりしなかったでしょ?」
確かに美那子もそのことには気づいていた。
だとすると、次に考えることはひとつだった。
「やっぱり、ケレールとは違う星の異星人の力がその帽子に…?」
美那子がそう言うと、九条は少し目を細めてみせたあと、ゆっくりうなずいた。
「その可能性は充分にあるでしょうね…」
そう言ったあと、九条は何か心を決めかねているような表情を見せた。
美那子はそれを見て、聞いてみた。
「何を考えてらっしゃるんですか」
九条は、正直に答えた。
「私が今この帽子をかぶってみたら、何かわかるんじゃないかって思ったの」
美那子はあわてて言った。
「危険ですよ!
 どうなるかわからないんです…。
 もし九条さんが正気を失って誰かを攻撃し始めたら…」
九条は微笑みながら美那子をなだめた。
「もちろんかぶらないわよ。
 かぶったら何かわかるかもって思っただけ」
それを聞いて美那子は少し安心したが、心の中の不安をすべて消し去るには程遠い状態だった。
「この帽子、どうしたらいいんでしょう」
美那子の質問に、九条は少し考えてから、こう言った。
「お婆さんが最後に言った住所をまだ覚えてる?」
美那子はすぐに答えた。
「ヒノキザカ1020の5だったと思います」
九条はグレーのキャップをテーブルの上に戻して、言った。
「そこからあたるのがいいわ」
美那子は目の前の女性が警察官であることをあらためて意識した。

店内に倒れていた人々が救急隊員によって運び出されたり、自力で立ち上がったりして全員いなくなると、美那子も自分の肩にかけてもらっていた毛布をそろそろ返さなくてはと思い、体から毛布を取り去った。
美那子がハーフトップにミニスカートという、上から下まで肌の露出が多い状態になったのを見て、九条は言った。
「今日は涼しそうな格好だったのね…」
美那子はヒロトにブラウスをはぎ取られたことや、親切な女性に代わりの服をもらったことは九条に話していなかった。
「あ、これは私の服じゃないんです…」
美那子はあわててそのくだりを九条に説明した。
それを聞いた九条は少し驚いた顔をしてみせて言った。
「そういえば、ここに来る途中、同じような白いハーフトップを着た若い女性を見かけたわ。
 あの人だったのかしら」
美那子は、その女性が最後に少しおかしなことを言っていたのを思い出して、あれはどういう意味だったのかと考えていたが、特に意味があることとも思えないので、九条には言わないことにした。
「たぶん同じ人でしょう…この辺では目立つ格好ですし」
九条にそう答えると、美那子は隣りのテーブルの横でまだ倒れている椅子があるのに気づき、なんとなく気になったので、その椅子を起こした。
そのとたんに美那子の動きが止まった。
美那子の一連の動作を見ていた九条が聞いた。
「どうしたの?」
美那子はとまどった顔をしながらも、
「いえ、ちょっと…」
と言うと、今立てたばかりの椅子をもう一度片手で持ち上げてみた。
美那子がまったく力を入れなくても、椅子はすんなりと持ち上がった。
《まったく重さを感じない?》
美那子はそう思って、こんどは隣りのテーブルの方を片手で持ち上げてみた。
同じように、テーブルにはまったく重さがないようだった。
それなりに重そうなテーブルを片手で持ち、床から浮かせたままにしている美那子を見て、九条は不思議がった。
「それ、重くないの?……あっ」
そこまで言って、九条もとまどった顔になった。
「白神さん、もしかして今スーパーマンになってる?」
九条の質問は、たった今美那子が自分自身に問いかけていたものだった。
美那子は持ち上げていたテーブルを床の上に静かにおろし、しばらく九条の顔を見つめた。
ふたりは無言で、カフェの外に出た。
そして、路上にとめられているパトロールカーの一台の前まで来ると、美那子がボンネットの前に立った。
九条は少し離れ、腕組みをして、美那子を見つめていた。
美那子は少しかがみ、パトロールカーのバンパーの下あたりに片手を入れると、その手を軽く持ち上げてみた。
パトロールカーの前輪が一メートルほど持ち上がった。

12. 己を試す者

路上には、カフェに駆けつけた警察官や救急隊員、通行人、そして野次馬などがいた。
そのうち、パトロールカーのフロント部分を片手で持ち上げている少女に気づいた人々は、その方向を見つめたまま動きをとめた。
美那子が持ち上げていたパトロールカーをそっと地面におろすと、路上の雰囲気を察した九条は、美那子の肩に手をあてて言った。
「いったん店内に戻りましょう」
美那子と九条はカフェの店内へと急ぎ足で入った。
そして、グレーのキャップと美那子が肩にかけていた毛布が置かれたテーブルまで戻ってくると、ふたりのあとを追うように、入り口からスーツを着た若い男が現れ、ふたりのもとにやってきた。
美那子はその背の高い男の顔に見おぼえがあった。
先週の事件で美那子が警察の事情聴取を受けたときに、九条といっしょにいた警察官のひとりだ。
「きみは先週の女の子だよね、白神さんだっけ?」
そう言って男は美那子に優しそうな笑顔を向けた。
美那子は丁寧に返事をした。
「あ、はい、白神です。先週はお世話になりました」
美那子はその男の名前を知らなかったが、先週会ったときから親しみやすそうな雰囲気の人だと思っていた。
「どうも、僕は海老原と言います」
男が自分の名前を名乗ると、それを見ていた九条は、ハーフトップという服装のせいで肩や腰まわりが露出していた美那子の上半身にふたたび毛布をかけ、たしなめるように男に言った。
「海老原くん、何か用なの」
海老原という男は少しあせり顔になり、
「いえ、先週お会いした白神さんが店の前にいたのでどうしたのかと…」
と言ったが、九条はそのことばをさえぎった。
「海老原君、自分の仕事があるんでしょ?
 早く戻ったら?」
九条にそう言われて、海老原はまた美那子に笑顔を見せて、
「それじゃあ、白神さん」
とだけ言いい、急ぎ足で店の外へと戻って行った。
おそらく九条は二十代後半、海老原はそれよりやや下の年齢だという印象を、美那子は受けた。
「ごめんね、白神さんは警察署内で時の人だから…。
 帰ったら海老原に、白神さんは見世物じゃないってきつく言っておくから」
九条は美那子に申し訳なさそうにそう言った。
どうやら仕事の上でも九条は海老原の上司なのかなと思いながら、美那子は笑顔で、
「いえ、そんな風には感じなかったです。
 さわやかな方ですね」
と返した。
九条は少し小声になって言った。
「あいつ、先週白神さんが帰ったあとも、白神さんのことばかり話してたのよ。
 スーパーマンだの、スーパーガールだのって。
 すましてみせてたけど、白神さんにまた会えて心の中では大興奮してたはずよ…」
そう言われて美那子はややあせり、
「そんな…、私は普通の女子高生なのに…」
と恐縮した。
九条は美那子ににこりと微笑んでみせると、すぐに真剣な顔に戻り、こう言った。
「しかし、今のあなたは普通の女子高生とは言えない状態ね。
 あの服装じゃないのに、なぜ異星人のパワーが使えるのかしら…」
九条に問われずとも、美那子も先ほどからの自分の超人的な力の謎を考えていた。
そして、美那子なりに今まで考えた内容を、九条にも伝えてみることにした。
「今日、最初にあの男性に襲われたときは私にこのパワーはなかったんです。
 押さえつけられて身動きとれなかったので、確かです。
 それで、注文カウンターの陰でさっき言った女の人からこの服をもらったあとに…」
そこで九条がことばを引きとるように言った。
「突然、体当たり一撃であの男をダウンさせたのね」
美那子と九条はしばらく顔を見合わせ、ふたりの顔はゆっくりと美那子がまとう白いハーフトップの方へと向けられた。
「まさかこのハーフトップのせい?」
驚いた美那子が声を上げると、九条はやや首をかしげ、
「今の状況だとそう考えるしかないわね」
と言い、突然立ちあがって、自分のスーツの上着を脱ぎ始めた。
そして、脱いだスーツの上着を美那子の方に差し出しながら、九条は言った。
「これ貸してあげるから、お手洗いで今のハーフトップを脱いで、これに着替えて来て」
美那子はうなずいて言った。
「わかりました。
 このハーフトップを脱いで力が消えたら、間違いなくハーフトップのせいだということですね」
九条の上着を受け取り、美那子はカフェの手洗いに入ると、着替えを二分ほどで済ませ、戻ってきた。
戻ってきた美那子を見ながら、九条がうながすようにうなずいたので、美那子はさっそく片手でカフェのテーブルを持ち上げようとした。
しかし、今の美那子にはテーブルを片手で持ち上げることはできなかった。
「やっぱりそのハーフトップね」
九条は、美那子が片手に持ったままの白いハーフトップを見ながらそう言った。
美那子も自分の手の中のハーフトップを見つめながら、
「すると、これをくれたあの女性はいったい…」
とつぶやいた。
考えている美那子に、九条はてきぱきと言った。
「考えるよりも、まずは、超人的な力であなたを助けてくれたというお婆さんがあなたに伝えた住所を、調べるべきでしょうね。
 謎を解く鍵があるとしたら、今はそこだけよ」
そのことばに、美那子はうなずき、九条に答えた。
「わかりました。
 今日の午後、さっそくあの住所を訪ねてみようと思います」
九条はすかさず言った。
「よかったら、私もいっしょに行ってもかまわない?」
美那子はそれを聞いて明るい顔になった。
「もちろんです、いっしょに来ていただけたらすごく心強いです」
喜んでいる美那子に、九条は言った。
「じゃあまず、いったんおうちに帰って、あなた自身の服に着替えた方がいいわね。
 …それから、今あなたが着ている私の上着も、すぐにほかの服に着替えた方がいいわ。
 あなたの胸もとを隠しきれてないから…」
九条の言うとおり、前ボタンをすべてとめても胸もとが大きく開いた状態になってしまうレディススーツの上着では、美那子のブラジャーが一部見えた状態になっていた。
そのことは美那子も手洗いの鏡の前で気づいていたが、ハーフトップがパワーの原因であることを早く確かめたいという気持ちと、カフェの店内には今警察官しかいないという安心から、そのまま出てきてしまっていたのであった。
美那子は少し恥ずかしそうに、
「はい、そうします」
と答えると、白いハーフトップを持って、ふたたび手洗いの方へ歩いて行った。

数分後に白いハーフトップ姿で戻ってきた美那子は、念のためもう一度片手でカフェのテーブルを持ち上げてみた。
やはりテーブルは何の苦労もなく床から離れた。
九条はそれを見て言った。
「家まで送ってあげましょうと言おうと思ったんだけど、むしろ今のあなたになら、私を護衛してもらえるわね…」
美那子は微笑みながらも恐縮した。
「いえ、そんな…」
九条はそこで提案した。
「どうかしら、ここ最近のできごとから考えても、この先どんな災難があなたにふりかかるかわからないでしょう。
 午後にあの住所を訪ねるなら、スーパーマンになれる先週のあの服装で行った方がいいと思うんだけど、どうかしら」
美那子の顔は少しくもった。
できればこの先あの服装にはならずに済めばいいと思っていたが、先ほどヒロトに襲われたときに、今日あの服装でなかったことを後悔したのも事実だった。
美那子はしばらく迷っていたが、やがて心を決めて言った。
「わかりました。
 あの服なら、万が一のときに九条さんを守れますし」

九条は午後二時に美那子の家に車で迎えに行くと約束した。
また、ヒロトがかぶっていたグレーのキャップはいったん九条が持ち帰り、午後にまた必ず持ってくることも約束した。
美那子も、今自分が着ている白いハーフトップを、そのときに持参することを約束した。
今できることは、老婆が言い残した住所を訪ね、その場所にいる人物に、老婆のことと、それら「特別な衣類」について、尋ねてみることだけなのだ。

帰宅すると美那子は、家族に今の自分の姿を見られないかとひやひやしながら、二階の自分の部屋へと入った。
ミニスカートに加え、肩や腰まわりまであらわにしたハーフトップ姿は、全体的に露出度が高すぎると思ったのだった。
人目がなく完全に安心できる自分の部屋に入ると、まず美那子は白いハーフトップを脱ぎ、その次にスカートも脱ぎ、下着とソックスだけを身につけた状態のまま、ベッドの上で膝を抱えて座りこんだ。
そして何分間かそのままじっと動かなかったが、やがて美那子は思い立ったようにクローゼットの前に行くと、ケレールから力を注がれた一式の衣類、すなわち、紺のブレザー、デニムのミニスカート、あわいピンク色のブラウスを出した。
《確かケレールの服は、少しでも他の衣類を身につけていると能力が消えてしまうはず》
美那子はそれを思い出し、まずはそのままブラウスとミニスカートとブレザーを着用してみた。
そして、引き出しから爪切りを取りだすと、自分の手の指の爪をほんの少しだけ切ってみた。
爪は当たり前のように切れた。
《能力が現れているときは、どんな刃物でも私の爪を切ったりできなかったはず》
美那子は考えながら、ブレザーとミニスカートとブラウスを一度脱いだ。
《やはり下着まで、先週と同じでなくてはならないみたい…》
美那子は先週身につけていたブラジャーとパンティー、そしてソックスをタンスから取り出し、それに着替えた。
その上であらためてブラウス、ミニスカート、ブレザーを着用し、また自分の爪を切ろうとしてみた。
今度はいくら力を入れても、爪は切れなかった。
《ケレールから注がれた能力が発現している…》
美那子は今自分が人類最強になったことにあまり実感がわかず、またしばらくぼう然としていた。
美那子はとりあえずブレザーを脱いだ。
そして、なにげなくさっきと同じように爪切りで手の指の爪を少し切ろうとして、困惑した。
《爪が切れない…ブレザーを脱いだのに》
どんなに力を入れても、爪は切れなかった。
美那子はブラウスも脱ぎ、爪を切ろうとしてみた。
やはり、爪は切れなかった。
続けて、スカートとソックスも脱ぎ、試してみたが、やはり爪は切れない。
ブラジャーも外してまた同じことを試したが、結果は同じで、爪はどうしても切れなかった。
美那子は少し考えたあと、残ったパンティーを脱ぎ、全裸となった。
そこで、ようやく爪を切ることができた。
《一枚でもケレールの力が注がれた衣類を身につけていれば、能力が発現する?》
美那子はまたパンティーだけを履き、爪切りを試してみたが、思ったとおり爪は切れなかった。
あらためて美那子は、残りの下着やスカート、ブレザーなどを全部着て、爪切りを試した。
当然、爪は切れなかった。
そして、今度は部屋の壁にかけてあった自分の帽子をかぶり、爪を切ってみた。
爪は簡単に切れた。
美那子は頭の中を整理した。

ケレールの力が注がれた服一式は、どれかひとつでも身につけていれば、能力が発現する。
ただし、その一式以外の衣類をひとつでも身につけたら、能力は消失してしまう。

美那子は帽子を脱ぎ、引き出しから銀のブレスレットを取りだすと、左の手首にはめた。
その状態でまた爪切りを試してみると、爪は簡単に切れてしまった。
《アクセサリーでも、能力は消失する》
美那子は自分の手首の銀のブレスレットを見つめながら、ふと手錠を連想した。
《きっと手錠をかけられたとしても、能力は消失してしまうのかも…》
家に手錠はなかったが、美那子は机の引き出しの中から髪を結うゴム紐を見つけ出し、ブレスレットの代わりにそのゴム紐を手首に巻きつけてみた。
その状態で爪切りを試しても、爪は切れた。
それは、美那子が縄で手首などを拘束されても、ケレールの力が消失してしまうことを意味していた。

13. 手がかりを追う者

美那子は、先ほど脱いでベッドの上に置いてあった白いハーフトップを、ふたたび手にとった。
そのハーフトップもまた、着用することで超人的な能力が得られる点では「ケレールの一式」と同じであったが、他の衣類を身につけていても能力が消えないという決定的な違いがあった。
カフェで美那子に襲いかかってきたヒロトがかぶっていたグレーのキャップも、このハーフトップと同じように、他の衣類に影響されず能力を発現できるものと考えられる。
つまり、あのグレーのキャップと美那子が今手に持っているハーフトップは、同じ経緯で特別なものになった可能性があるのだ。
とすると、ヒロトにキャップをわたしたマイカという少女と、美那子にハーフトップをわたした謎の女性は、いったい何者で、ふたりの関係はどういうものなのだろうと、美那子は考えた。
しかし、今それを考えてみたところで答えが出るわけでもなかった。
美那子はブレザーとブラウスを脱ぐと、その他のケレールの力が注がれたスカートやソックスなどはそのままで、白いハーフトップを着用してみた。
そして爪切りを試してみたが、爪はまったく切れなった。
美那子は超人状態のままであるということだった。
《これは、つまり…》
美那子はあらためて頭の中を整理しようとした。
このハーフトップがケレールの一式の能力を消失させない性質を持っているのか、あるいは、ハーフトップがケレールの一式の能力を消失させてはいるが、それとは別の能力をハーフトップが発現させているのか。
美那子はそれを確かめる方法はないものかと、試しに先ほどケレールの一式の能力を消失させた銀のブレスレットを、手首にはめてみた。
今美那子は、ケレールの一式と、その能力を消し去るブレスレット、そして別の能力を与えるハーフトップを身につけている状態となった。
《普通に考えたら、ハーフトップの能力だけが残っているから、爪は切れないはず…》
美那子はそう思いながら、また少し自分の手の指の爪を切ってみた。
ところが美那子の予想に反して、爪は簡単に切れてしまった。
美那子の頭は混乱した。
念のため、美那子はその服装のまま部屋の大きなタンスを持ち上げてみた。
かなり重いはずのタンスは、いとも簡単に持ち上がった。
それはつまり、今の美那子はものすごい怪力を持っているが、体にはダメージを受けてしまう状態であるということを意味していた。
《わからない……こうなったら徹底的に調べてみよう》
美那子は決心すると、今身につけている衣類をすべて脱ぎ去り、全裸になった。

全裸の状態から、美那子はまず白いハーフトップだけを着てみた。
そして、タンスを持ち上げてみると、タンスは重さがないかのように軽々と持ち上がった。
《怪力は発現している》
美那子はその身なりのまま、爪切りで指の爪を切ってみた。
指の爪は切れた。
美那子はひとつのことが明らかになったと思った。
《このハーフトップは怪力をもたらすけど、もともと私をダメージから守ってくれる力はなかったんだ…》
そこはまた、ケレールの一式との大きな違いだった。
もともとハーフトップに防御力を高める効果がないことがわかれば、美那子はさきほど予想外に爪が切れてしまったのも当然のことだと思った。
次に美那子はケレールの一式のうちのパンティーを身につけてみた。
ハーフトップにパンティーだけという姿になった美那子は、もう一度自分の指の爪を切ろうとしてみた。
今度はいくら爪切りに力を入れても、爪は切れなかった。
つまり、ケレールの一式の身を守る能力が発現しているということだ。
美那子は次にタンスを持ち上げてみた。
先ほどと同じようにタンスは簡単に持ち上がった。
《ケレールの一式の能力は速く動けることだけだから、タンスを持ち上げられるのはハーフトップの能力ということ…》
美那子はまたひとつのことが明らかになったと思った。
ケレールの一式とこのハーフトップを同時に着用すると、ものすごい怪力と、ダメージから身を守る力が、同時に発現するということだ。
次に美那子は銀のブレスレットを手首にはめた。
ハーフトップにパンティー、そしてブレスレットの三つを身につけた美那子は、あらためてタンスを持ち上げてみた。
タンスは簡単に持ち上がった。
そして、爪切りで切ってみると、爪は簡単に切れた。
これはつまり、ブレスレットはハーフトップがもたらす怪力には影響しないが、ケレール一式の防御力を高める効果は消し去ったということだ。
美那子は引き出しから小さなメモ用紙を取りだすと、その上にペンで次のように書いた。

ケレール = 速さと防御力
ハーフトップ = 怪力(防御力なし)
ケレール+ハーフトップ = 速さと防御力+怪力
ケレール+ハーフトップ+ブレスレット = 怪力(防御力なし)

あとで会うことになっている九条に、このメモを見せて説明しようと美那子は思った。
すべての謎が解けたわけではないが、前よりはいろいろなことがわかったと美那子は感じていた。
美那子は白いハーフトップを脱ぎ、ケレールの一式をすべて身にまとった。
そして、脱いだハーフトップを見つめながら、美那子は思った。
《このハーフトップは少し気味が悪い…》
美那子は、カフェでヒロトがキャップをかぶったとたんに自分に襲いかかってきたことを思い出していた。
もしヒロトのキャップとこのハーフトップが同じ性質のものなら、キャップがヒロトの性格を豹変させたように、何か別の影響を美那子に与えるかもしれないと考えたのだ。
九条に会う用意のため、美那子が外出用のポシェットにハーフトップと先ほどのメモ用紙を入れると、階下から美那子を呼ぶ母親の声が聞こえた。
美那子が時計を確認すると、正午を何十分か過ぎていた。
母親は昼食ができたことを美那子に知らせていたのだった。

九条は午後二時ぴったりに美那子の家にやってきた。
ひかえめなクラクションの音を聞き、美那子が外に出ていくと、家の前にグレーのセダンがとまっており、 その運転席に九条が乗っているのが見えた。
九条が運転席に座ったまま助手席の方を指さしていたので、美那子は自分で車のドアを開け、九条の隣りの席に座った。
「よろしくお願いします」
美那子が挨拶がわりにそう言うと、九条は興奮した様子で話し始めた。
「署に帰ってみたら、朝から同じような事件が何件も起きていたのよ。
 見知らぬ人から衣類や帽子をもらった人が、突然暴行したり盗みをはたらいたり…。
 しかもこのあたりだけじゃなくて、全国的に起きてるの」
美那子はそれを聞いて驚いた。
「え?それはつまり…」
ことばにつまる美那子のあとを、九条が引きついだ。
「つまり、日本中で何かが起きてるってことね。
 日本中じゃなくて世界中かも。
 もはや、これを異星の艦隊が地球上空に来ていることと結びつけて考えない人はいないわ…」
美那子はおそるおそる言ってみた。
「これが異星人の攻撃ということなんでしょうか…」
九条は車を発進させながら、それに答えた。
「そういうことかもしれないわね。
 今朝あなたを襲った少年に帽子をあげた少女とか、あなたにハーフトップをあげた女が、異星人の仮の姿なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない…」
美那子は、カフェで自分にハーフトップをくれた女性が言っていた、奇妙なことばを思い出していた。

“ところであんた…それ着て、何かそわそわしたりしないの?”
“そぐそこにこの店のレジがあるけど、レジが開けられたら、あんた、中のお金を何に使う?”

美那子ははっとした。
グレーのキャップをかぶったヒロトが突然自分を襲ったように、美那子もハーフトップを着ると何か反道徳的な行動をとることを、あの女性は期待していたのではないのか。
しかし、美那子が何も変わらなかったので、あの女性はこう言ったのだ。

“おかしいね…こんな人間は初めて見た…”

美那子の頭の中にまた新たな謎が浮かび上がった。
《もしそうだとしたら、なぜ私だけ何も変わらなかったの?》
美那子は、隣りで運転している九条に、今頭の中にあることをすべて話してみた。
美那子が話し終わると、九条はしばらく考え込んでいたが、やがてこう言った。
「あなたがケレールと接したことが、何か関係あるかもね。
 この場合、あなたとほかの人間との一番の違いは、そこだから…」
運転を続けている九条はちらりと美那子の今の服装を見て、続けて言った。
「一週間ぶりにフル装備のスーパーガールになったのね」
九条の隣りの席に座っている美那子は、ブレザーにデニムのミニスカート、そして白いブーツという、先週とまったく同じ服装に見えた。
しかし、美那子は自分の左腕を持ち上げてこう言った。
「でも今はまだスーパーガールじゃないんです。
 ブレスレットをしてますから…」
美那子の左手首にはアクセサリーの銀のブレスレットがはめられていた。
ケレールの一式以外のものを身につけると能力が消えてしまうことを先週すでに聞いていた九条は、前方を向いたまま、
「どうしてまた…?」
と少し驚いた様子で言った。
美那子は説明した。
「少しでも長い時間、普通の人間のままでいたいと思って…」
それを聞いて、九条は笑顔になった。
「あなたちょっと変わってるけど、その、力に執着のない、純心なところが好きよ」
そう言われて美那子は照れてしまった。
「いえ、私はただ…」
美那子に続きをしゃべらせず、九条がさえぎるように言った。
「そんなに美人なのにねえ……あっ、そろそろ目的地に着くわよ」
そのことばに美那子が外に目を向けると、車は静かな住宅街の中の道を進んでいた。
そして、前方にかなり大きな門が見えたころ、九条がその門を指さして、
「あなたが言ってた住所は、あそこよ」
と言った。
あまり近づかなくてもその門の向こうにはかなり広い敷地があることは容易に想像できた。
九条がつぶやいた。
「豪邸ね」

14. テストされた訪問者

大きな門の前でエンジンをかけたまま停車し、パーキングブレーキをかけると、九条は助手席の美那子に尋ねた。
「私が警察官だと名乗ってもかまわない?
 それとも自分でインターホンを鳴らす?」
美那子は少し考えたあと、それに答えた。
「カフェで多くの人が襲われましたし、あのお婆さんも亡くなりました。
 警察の調査として訪問する方が自然だと思います」
九条はそれを聞いてうなずくと、美那子を助手席に残して車をおり、門の横のインターホンのボタンを押した。
少し間をおいて、インターホンから年老いた男性の声がした。
「はい、どなたでしょう」
九条はインターホンについているカメラのレンズの方に自分の警察手帳をかざしながら、ゆっくりとはっきりした口調で、
「警察です。少しお話をうかがいたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
と言った。
インターホンからの声はすぐにそれに答えた。
「ああ、はいはい、刑事さんですね。
 今門を開けますから、車で中にお進みください」
九条が運転席に戻り、待っていると、門が自動で開き始めた。
助手席の美那子は門の中を見ながら、
「本当に広い敷地ですね」
とつぶやいた。
門を入ってすぐのところは、車が十台近くとめられそうな空間になっていた。
美那子と九条を乗せたグレーのセダンはゆっくりと門を通り抜け、門の中の広い敷地の隅に場所を見つけて、停車した。
九条が車のエンジンを切って無線で警察署に自分の所在を伝えたあと、ふたりは車をおりた。
ふたりが今通り抜けてきた門は、すでに閉じられていた。
広場の奥に大きな住宅が見え、美那子と九条はそちらの方へ歩き始めた。
そのとき、九条が何かに気づいて言った。
「白神さん、ブレスレットは外した方がいいかも」
美那子がそのことばに驚いてまわりを見てみると、美那子と九条の右方向から二人、左方向から二人の、合わせて四人の男が、こちらに向かって歩いて来ていた。
美那子と九条は立ち止まった。
見れば四人ともかなり老齢の男のようだが、美那子はその場の異様な雰囲気に少し恐怖を感じ、左手首にはめていた銀のブレスレットをそっと外した。
老いた男たちはゆっくりと美那子と九条の目の前まで歩いて来て、その中のひとりが丁寧な口調でこう言った。
「こんにちは、刑事さんとお嬢ちゃん。
 刑事さんは普通のかたのようですが、お嬢ちゃんの方は特別な能力を持っているとお見受けしましたが…」
美那子は少し驚いて九条と顔を見合わせた。
しかし、すぐに老人の方に向き直り、美那子はこう言った。
「はい、ケレールさんとフォルティスさんから力をいただきました」
すると、別の老人が少し笑い声をあげ、美那子にこう言った。
「ふたりから?そりゃすごいな」
さらにもうひとりの老人が、手に持った何かを美那子の顔の前にかかげながら、こう言った。
「信用しないわけではないんですが、ここから先に進む前に、これをつけてくれませんか」
かかげられた老人の手の中にあるものを美那子が見てみると、それは手錠であった。
「え?」
美那子は小さな声を発して、九条の方を見た。
しかし九条が何か言う前に、手錠をかかげた老人が続けて言った。
「もちろん、あなたが信用できるかただと判明した時点で、手錠は外します。
 驚いておられるようだが、この屋敷には年寄りしかいないので、用心のため、そうするしかないのです」
九条はみけんにしわを寄せて老人がかかげる手錠をにらんでいたが、やがて美那子の方に顔を向けてこう言った。
「白神さん、いやならいいのよ。
 今日はいったん帰りましょう…」
美那子はしばらく考えていたが、やがて心を決めたらしく、老人に向かってこう言った。
「わかりました。
 手錠はつけます。
 その代わり私たちの質問に答えてください」
それを聞いて九条は驚き顔になったが、何も言わなかった。
美那子は九条に言った。
「カフェで私を助けてくれたお婆さんを信じます…」
九条は無言のままうなずいた。
手錠をかかげた老人は微笑みながら、
「ご理解いただき、恐縮です」
と言い、美那子の両手首にその手錠をはめた。
手錠のかちりという音がしたあと、四人のうちで今までひとことも発していなかった最後の老人が、初めて口をきいた。
「では、屋敷へご案内しましょう」

案内されて中に入ってみると、屋敷の内部もとても広かった。
住宅というよりは公民館を想像させるような内装だった。
美那子と九条、そして四人の老人は、大きな玄関でそれぞれくつを脱ぐと、奥に進み広い応接室のような部屋に足を踏みいれた。
部屋は屋敷の奥の庭に面しており、窓から庭を覆う緑の芝生が見え、部屋の雰囲気を明るくするのに貢献していた。
部屋の隅にはその庭へと降りられるドアもついているようだった。
「ここは普段会議室として使っております」
外で最初にふたりに声をかけた老人が説明した。
その老人の言うように、部屋の中には、長方形のテーブルを囲うようにちょうど六つの椅子が置いてあった。
外で美那子に手錠をかけた老人が、
「どうぞ椅子におかけください」
と言って、ふたりのために椅子をひとつずつ引いてくれた。
美那子と九条が腰かけると、四人の老人もそれぞれ自分の椅子を決めてそこに座った。
美那子はふと、四人の老人に対してこの部屋にあらかじめ六つの椅子が置いてあったことが気になった。
あとふたり別の住人がいるのだろうか。
いや、そもそもで、この四人は全員この屋敷の住人なのだろうか。
美那子の考えは、外で一番最後に声を発した老人のことばで中断された。
「まず、お名前をおうかがいしてもよろしいですかな」
最初に九条が名乗った。
「九条と申します」
それを聞き老人がすぐに、
「できれば下のお名前も」
と言ったので、九条はあらためて自分の名前を告げた。
「九条さなえです」
続けて、美那子も名乗った。
「白神美那子と申します」
名前を聞いた老人は微笑みながら、今度は自分の名を告げた。
「九条さん、白神さん、私はこの星ではセネーと呼ばれています」
美那子はそれを聞き、老人がケレールやフォルティスのときと同じように「この星では」という言い方をしていることに気づいた。
続けて他の三人の老人たちも順番に自分の名前を言った。
外で一番最初にふたりに声をかけてきた老人はウィデーレ、美那子に手錠をかけた老人はアリガレ、そして外で美那子がケレールとフォルティスのふたりから力をもらったことを告げたときに笑い声をあげた老人は、アウディレと名乗った。
九条も美那子も、この四人の中ではどうやらセネーがリーダー格なのだろうという印象を受けていた。
セネーは全員の名乗りが終わると、落ち着いた声で言った。
「それでは、ご質問とやらをお聞きしましょう」
だが九条は、手錠をはめられた美那子のことをしきりに気にしている様子で、質問の代わりにこう言った。
「この白神さんは限りなく善良な子で、手錠を外しても何の心配もない人間であることを警察官の私が保証します。
 どうか手錠を外してやってもらえませんか」
九条のことばに、四人の老人たちはしばらく無言だったが、やがてセネーがこう言った。
「確かに、せっかく訪れてくださったお客様に手錠をはめるなど、失礼なことだとは重々承知しております。
 善良な少女にこんな拘束具を使うのも悪趣味なことだと思います。
 私もそんなものはぜひ外してさしあげたい…。
 なので、どうでしょう、この白神さんに、われわれを安心させるためのテストを受けてもらいたいのですが…」
九条はまたみけんにしわを寄せて聞いた。
「テスト?それはいったい…」
すると、外で美那子に手錠をはめたアリガレと名乗る老人が美那子のそばまでやってきて、
「どうぞ、お立ちください」
と、美那子の椅子に手をかけた。
美那子はちらと九条の顔を見たが、アリガレが椅子を引いてくれるのに合わせて立ち上がった。
「いったい何をするんです?」
九条があらためて尋ねたが、アリガレは無言で、手錠をかけられたままの美那子を、部屋に隣接した庭に通じるドアの前まで導いた。
それと同時に、外で最初にふたりに声をかけてきたウィデーレという老人が席を立ち、六人が今入ってきたドアから部屋を出て、屋敷のどこかへと歩いて行った。
アリガレが庭に通じるドアを開けて待っていると、部屋から立ち去ったウィデーレが、美那子の白いブーツを持って、ドアの外側に現れた。
「どうぞ、ご自分のブーツをお履きください」
ウィデーレはそう言って、ドアの外側のすぐ下の地面に、美那子のブーツを並べた。
美那子はドア口に腰かけ、手首に手錠をはめたまま、地面に置かれた自分のブーツを両足とも履いた。
美那子がブーツを履いてドアの外で立ち上がると、部屋の中からドアごしに、アリガレが手錠の鍵を使って美那子の手首を自由にした。
その間にブーツを持ってきたウィデーレはまた外の庭のどこかに立ち去って行った。
アリガレが庭に美那子ひとりを残し、部屋のドアを閉めた。
九条は席から立ち上がって急いで窓の方に行き、窓を開けると外の美那子を見た。
美那子は今出てきたドアの前で、不安そうにまわりを見まわしていた。
手錠が外された今、美那子は超人的なスピードとパワーを与えられているが、この老人たちはいったい美那子にどんなテストを受けさせようというのか。
たまらず九条がまた同じ質問をした。
「いったい何をするんですか」
セネーとアウディレ、そして美那子を外に出したアリガレも窓際に集まって外の美那子を見ていたが、セネーは九条をさとすように、こう言った。
「まあ見てなさい。
 あの服装である限り白神さんが傷つくことはないのですから、心配なさることもないでしょう」
確かにセネーの言うとおりではあったが、この得体のしれない状況に、九条の心配が完全に消え去ることはなかった。
九条と老人たちが窓から見守る中、部屋の外では、ブレザーにデニムのミニスカート、そして白いブーツという服装の若い少女がひとり不安そうな表情で立っている。
午後も遅い時刻に近づいていたが、天気は良く、外は昼間の明るさであった。
しばらくすると、どこかから鉄の扉が開いて閉まるような音が聞こえた。
そしてすぐに、美那子のもとに何かの動物が走り寄ってきた。
それを見て九条は思わず口走った。
「ジャーマン・シェパード?」
ジャーマン・シェパードは警察犬にも採用されることのある、大型の攻撃的な犬だ。
すぐ外の庭で、今その猛犬が美那子に襲いかかっているのであった。
美那子の超人的な能力を知っていながらも、九条はまばたきも忘れて窓の外の美那子を見守った。

犬は見知らぬ屋敷への侵入者に、容赦なく噛みつこうと突進を続けていた。
だが、ケレールに力を注がれた服を着た美那子は、その超人的なスピードで、猛犬の攻撃をすべてひらりとかわしていた。
しばらく猛犬の攻撃は続いていたが、いくら襲いかかっても触れることすらできない敵に違和感を覚え始めたのか、あるいは疲れ始めたのか、猛犬の動きは徐々に遅く、鋭さを欠くものになっていった。
やがて、美那子を追って庭を走り続けることに疲れてしまったのか、犬は地面に座りこんで動かなくなった。
美那子はゆっくりと犬に近づき、犬の前にかがみこんだ。
犬は美那子を見ながらうなり声をあげていた。
美那子が犬の頭に手のひらを乗せようと腕を差しだすと、犬はその手に噛みつこうとしたが、美那子は一瞬早く手を引っ込めて、また同じように犬の頭の方に手を差しだした。
ふたたび犬は美那子の手に噛みつこうとしたが、また美那子はそれをかわして、また手を差しだそうとした。
同じことが何度もくり返された。
やがて犬はあきらめたのか、美那子が手を差しだしても噛みつこうとはしなくなり、美那子は犬の頭に手を乗せると、優しくなで始めたのであった。

部屋の中からそれを見ていたセネーが満足げに言った。
「テストは終わりです。
 あの白神さんは優しい少女です」
セネーのことばを聞くやいなや、九条は庭に通じるドアの前に行き、そのドアを開けると、外の美那子に声をかけた。
「白神さん、終わったから入ってきなさい」
美那子が立ち上がって九条の方に歩き始めると、先ほど美那子のブーツを置いて去っていたウィデーレが庭に現れ、犬の方に近寄っていき、ロープのついた首輪を犬に取りつけているのが見えた。
美那子がブーツを脱いでふたたび部屋の中に戻ってくると、九条は老人たちに尋ねた。
「いったい何をテストしたというのです」
セネーはテーブルの席の方に戻りながら、笑顔で九条に答えた。
「いえ、白神さんが犬をどうやって止めるか知りたかったんですよ。
 自分を攻撃してくる、自分より圧倒的に『弱い』あの犬に対し、無敵の少女がどういう対応をするのかを、見たかったのです。
 白神さんはあの犬をまったく攻撃しようとしませんでした。
 ケレールはいい人物にめぐり会えたとしか言いようがありません」

六人全員がふたたびテーブルを囲む席におさまると、セネーがあらためて言った。
「白神さん、お疲れさまでした。
 そしてありがとうございました。
 白神さんの手錠を外すことができて、私も嬉しい限りです。
 それでは、ご質問とやらをお聞きしましょう」
九条が美那子の顔を見てうなずいたので、まず美那子が口を開いた。
「では…まず、ここにいらっしゃる四人は、ケレールさんやフォルティスさんと同じ星から来られた方々という認識で大丈夫でしょうか」
セネーがすぐに答えた。
「そのとおりですよ、白神さん」
美那子はそれを聞くと続けて言った。
「今朝、私の町のカフェに、あるお婆さんがいて、カフェの中で男に襲われそうになった私を、すごい怪力で助けてくれました。
 そのお婆さんは、残された体力を全部使ったと言って、そのまま亡くなってしまいました……。
 亡くなる直前に、そのお婆さんがここの住所を訪ねるようにと私に言ったので、今私はここにお邪魔させてもらっているのですが……あのお婆さんもあなたがたと同じ星のお仲間なのでしょうか」
美那子の質問に四人の老人たちはお互いに顔を見合わせ始めたが、しばらく間をおいて、セネーが今までより低い声で言った。
「あなたがたおふたりはケレールのいた隣り町から来られたのですよね。
 そのお婆さんというのはきっと、私どもの星のテノルという者のことだと思います。
 テノルが亡くなったとは、非常に残念なニュースです…」
セネーの表情に深い悲しみを見てとった美那子も、低い声で言った。
「そのかたは私を助けたがために亡くなってしまいました…。
 私、何と言っていいか…本当に申し訳なくて……」
セネーはすぐに、美那子に優しい声をかけた。
「あなたが悲しむことはないのですよ、白神さん。
 テノルが白神さんをお助けしたというのであれば、おそらくテノルは白神さんをとても気に入っていたのでしょう。
 白神さんのために命を落としたとしても、その価値は充分にあるとテノルが思えるほどにね…」
それを聞いて美那子はあわてて説明した。
「いえ、そのテノルさんとは、カフェでたまたま隣りの席になっただけで、今朝初めてお会いしたんです」
セネーはそれを聞いても声の調子を変えずに、こう言った。
「われわれも今日初めて白神さんにお会いしたばかりですが、白神さんが素晴らしいかたであることは、もうすでに充分わかりましたよ。
 きっとテノルもそうだったと、容易に想像できます」
そう言われた美那子は、顔を赤らめて、
「そんな、私なんて…」
と恐縮してしまった。
そこで九条が質問役を引きついだ。
「この白神さんのお話では、ケレールさんやフォルティスさんは、自分の故郷に危機が迫ったため、先週星に帰られたということでした。
 あなたがたがまだここにいらっしゃるということは、全員が星に帰られたわけではないということですね?」
セネーは九条の方に向き、説明した。
「正確には、年寄り以外はみんな帰ったというべきでしょうな。
 地球のことばが流暢に話せないような若者は、みんな故郷に帰っていきました…。
 もうあまり能力を発揮することのできないわれわれ年寄りが星に帰っても何の役にも立ちませんし、何より、宇宙の旅でワームホールを通り抜けるときの磁場の大きな乱れに、われわれ年寄りの体はすでに耐えられないのですよ…」
それを聞き、美那子が訪ねた。
「お歳を召されたかたが能力を発揮したりしようとすると、誰でも命を落としたりする危険があるのでしょうか……テノルさんのように」
セネーがなぜか申し訳なさそうな表情で答えた。
「まあ、そういうことです」
しばらく間があき、九条が別の質問をした。
「今、あなたがたとは別の星からの艦隊が、地球の上空に来ているという認識でいるのですが、あなたがたはその別の星のことをどれぐらいご存じなんですか」
セネーがふたたび九条の方に顔を向けて言った。
「やつらをわれわれは、ラテスケンスと呼んでいます。
 われわれの星は過去に何度か、ラテスケンスの攻撃を受けました。
 しかし、わかっているのは、ラテスケンス自体にはわれわれの目に見えるような実態がないことと、ラテスケンスに攻撃されると、人々の良心や道徳心が完全になくなってしまい、その星の文明が内側から崩壊していくということだけです」
それを聞いた美那子がつぶやくように言った。
「実態がない…?」
今まで聞き耳をたてていただけの老人アウディレが、美那子に言った。
「ウイルスみたいなもんだと思えばいいよ、お嬢ちゃん」
美那子はアウディレの方に顔を向け、
「ウイルスですか……つまり人から人へ感染していくんですか?」
と尋ねた。
アウディレは、
「そう、そのとおり!」
と大きな声で言った。
九条ははっとしたような顔を見せ、老人たちにさらなる質問をした。
「もしかして、その感染方法って、帽子とか衣類だったりしますか」
セネーがその質問に答えた。
「そうです。
 感染した人間は、良心や道徳心をなくすと同時に、感染を他の人に広めようとします。
 実際に見たことはないのでどうやってるのかはわかりませんが、衣類などに自分の力を感染させて、その衣類を他の人が着用すると、その人もまた感染するのです」
それを聞いて、九条は自分のバッグからグレーのキャップを取りだした。
今朝、カフェでヒロトがかぶっていたキャップだ。
美那子も自分のポシェットから、今朝カフェで見知らぬ女性にもらった白いハーフトップを出した。
テーブルの上に並べられたグレーのキャップと白いハーフトップを見ながら、セネーが言った。
「それは、もしかして…」
「はい、たぶん感染した衣類です」
九条がセネーのことばにかぶせるように言った。
老人たちが少しざわめいた。
セネーは九条に尋ねた。
「感染していると思われているということは、誰かがそれを身につけたということですね」
九条はうなずきながらそれに答えた。
「はい、今朝隣り町のカフェで、ある少年がこの帽子をかぶったとたんに、この白神さんに襲いかかりました。
 さいわい白神さんがその少年をくい止めることができたので、今は少年は警察に拘留されています」
それを聞いたセネーはグレーのキャップと白いハーフトップを見つめながら、言った。
「なるほど、それでは、そのもうひとつの白いシャツ…ですかな、それも誰かが身につけたんですね?」
九条は隣りの美那子を手のひらでさし示しながら、答えた。
「はい、こちらを身につけたのは、ここにいる白神さんですが、白神さんは特に暴れたりということはありませんでした。
 …その辺よくわからないのですが、身につけている間、白神さんはものすごい怪力を発揮できていたので、普通の衣類でないことは間違いないです」
老人たちがふたたびざわめいた。
「この白神さんが最初に身につけたんですか」
セネーが驚き顔で聞いたので、美那子はおそるおそる、
「はい、そうです」
と答えた。
セネーは美那子の顔を見ながら、はっきりとした口調で言った。
「あなたはこの地球を救うために生まれてきた人かもしれせんよ、白神さん」

15. 異星の話を聞く者

「それは…どういうことでしょう?」
驚いた美那子が訪ねると、セネーは説明を始めた。
「すでにご存じのことと思いますが、ラテスケンスに感染した衣類を身につけた者には、三つの変化が起こります。
 良心や道徳心がゼロになってしまうことと、感染を自分以外の者に広めようとすること、そして、動きが速くなったり怪力を手に入れたりという超人的な能力を手に入れることです。
 われわれの星でも、人々がラテスケンスに襲われると同じことが起こり、多くの狂暴な犯罪者が増えました。
 毎回、ラテスケンスの襲来に気づき、感染した衣類をすべて追放するまで、われわれの社会の混乱は何年も続きました。
 しかし、われわれの星のラテスケンス襲来の歴史の中に、たったひとりだけ、感染しても何の変化のない男がおりました。
 それはインセンという若者だったのですが、彼はラテスケンスに感染した衣類を身につけても、良心や道徳心を失うことがなかったのです。
 彼の正義の心がほかの者より何十倍も強かったせいなのか、それとも、もともと彼の心の中に悪の概念がまったくなかったからなのかはわかりませんが、すぐにインセンの存在はわれわれの星全体に知れわたり、インセンはわれわれの希望の象徴となりました。
 しかし、のちに彼の存在意義は想像していたよりもはるかに大きなものであることがわかりました…。
 ラテスケンスに感染するのは、衣類が感染したあと、最初にその衣類を身につけた者だけです。
 つまり、誰かが身につけたあと、他の誰かがその衣類を身につけても、もう感染はしないわけですから、どんな感染衣類も、最初にインセンが身につけてしまえば、無害になるのです」
ここで九条が口をはさんだ。
「感染するのは最初に身につけた人だけなんですか!」
それを聞いてセネーは、九条に微笑みながら、
「おや、まだご存じなかったんですね」
と言い、また話を続けた。
「まあ、そういうわけですので、結果的に衣類からラテスケンスの影響をなくしてしまうインセンは、われわれの星の救世主と呼ばれたのです…。
 そして、今ここにいる白神さんが、インセンと同じようにラテスケンスの感染の影響を受けないというお話をおききしましたものですから……白神さんが地球を救うかもしれないと私が言った意味は、おわかりいただけると思います。
 しかも白神さんは、われわれの星の者から超人的な能力を与えられた、おそらく世界にたったひとりの人間です。
 これはもう、白神さんがそういう運命に生まれついたとしか、思えないのですよ」
美那子はセネーの話を聞いてぼう然としていた。
九条も感慨深いようすで美那子の方を見ていたが、すぐにまたセネーの方に顔を向けると、心の中にあった小さな疑問を口に出した。
「そのラテスケンスが衣類を介して感染することはわかりました。
 一方、この白神さんがケレールさんやフォルティスさんから超人的な能力を注がれたのも、衣類を介して、です。
 たいへん失礼かもしれないのですが、あなたの星のかたが白神さんに能力を与えたのも、ウイルスの感染と同じように思えるのですが…」
セネーはそれを聞いてふたたび微笑み、九条に説明した。
「あなたがたにはそう思えるでしょうね。
 だが、われわれの星の者は自身の体にそれぞれの能力を宿しています。
 そして、その能力をほかの生き物や衣類に分け与えることができます。
 分け与えるのですから、与えたぶん、自分の能力は一時的にほとんどなくなってしまい、もとに戻るまでには最低一日はかかります。
 一日に何度も無限に増殖していくラテスケンスと、心を込めて相手に力を分け与えるわれわれの星の者には、大きな違いがあると思っています」
セネーのことばに、九条は謝罪した。
「わかりました。
 失礼なことをお聞きして申し訳ありませんでした…」
今度は美那子が質問した。
「この、ケレールさんやフォルティスさんからいただいたものを、私以外の人間が身につけた場合、やはりその人に超人的な能力が発現するのでしょうか」
それを聞いてセネーは意外そうな顔をした。
「おや、まだそれを試しておられないんですね。
 わたしどもの能力は衣類に封じ込めることができますが、その能力は私たちの意思を持ち続けています。
 つまり、力を注いだ本人が決めた相手だけに、その能力が発揮できるのです。
 ケレールとフォルティスが白神さんという人物を選んで力を注いだなら、その服を着て能力を発現させることができるのは、白神さんだけなのです」
美那子は丁寧にお礼を言った。
「そうだったんですね…。
 教えていただきありがとうございました」
引き続き、九条が質問をした。
「この白神さんはラテスケンスの衣類を身につけても道徳心を失うことはありませんでしたが、ものすごい怪力を発揮できるようになったという点では、ラテスケンスの影響を受けていると言えるのではないでしょうか。
 私はそこが少し心配なのですが…」
セネーは九条の顔を見つめながら答えた。
「確かにその怪力はラテスケンスに感染して得たものですからね…。
 いつか白神さんが良心や道徳心を失うかもしれないと心配ですかな?
 私の星の救世主インセンは、何百回とラテスケンスに感染した衣類を身につけ、そのたびに衣類がもたらす能力を発現させていましたが、一度も悪の心に屈したことはありませんでした。
 インセンはいつでも心優しい若者のままでした。
 先ほどわれわれのレンジャーを一度も攻撃しなかった白神さんには、インセンと同じものを感じます」
「レンジャー?」
九条が尋ねると、セネーは笑い、こう言った。
「ああ、さきほど白神さんがなでてくださった犬の名前ですよ。
 大丈夫、白神さんがラテスケンスに心まで屈することは、絶対にないと断言しましょう」

美那子が最後に質問した。
「あなたがたの星のかたは、地球人から見ると、もともと凄まじい能力をお持ちです。
 ラテスケンスに感染されると、さらに能力が強くなるのですか」
セネーは最後まで変わらぬ丁寧な口調で答えてくれた。
「われわれの能力は、個人によって性質が違うのですよ。
 たとえばケレールは速く動けますし、フォルティスはものすごい怪力を持っています。
 違った能力もありますが、だいたいスピードか怪力が多いです。
 同じようにラテスケンスがもたらす能力にもいくつかパターンがあり、たとえばもともとスピードの能力がある者が、怪力をもたらすラテスケンスの衣類を着用すれば、スピードと怪力の両方の能力を持つことになります。
 そう……白神さんが今の状態で、つまり、ケレールのスピードを与えれた状態で、テーブルの上のその白いシャツも身につければ、超人的なスピードと怪力の両方を発揮できるはずですよ」
九条がそれを聞いて、美那子に言った。
「あら、ラテスケンスの衣類なら、余分に身につけても白神さんはスーパーガールのままなのね…」
美那子はここに来る前に自分の部屋で試していたので、そのことはすでに知っていた。

美那子と九条がふたたび車で大きな門をくぐって屋敷をあとにする頃、外は少し暗くなり始めていた。
美那子は帰りの車の中で、自分の部屋で実験したこととその結果を九条に教えた。
九条は感心するように美那子の話に聞き入っていた。
グレーのキャップは九条が警察署に持ち帰るが、白いハーフトップは美那子がそのまま持っていることになった。
キャップを最初にかぶったヒロトが拘留されている今、他の人間にはそのキャップは無害なものと言えたし、ハーフトップが美那子に怪力を与える以外の影響がないことも、セネーが保証してくれたからである。
車が美那子の家に到着し、美那子が助手席からおりるとき、九条が言った。
「白神さん、ラテスケンスの襲来でこれから世の中どうなるかわからないけど、くれぐれも気をつけてね。
 あなたはスーパーガールになれるけど、手錠をかけられただけで普通の人間に戻ってしまったり、弱点があるのも忘れないで…」
自分のことを心配してくれる九条に心からお礼を言い、美那子は九条が車で去って行くのを見送った。
あたりはすっかり暗くなっていた。

(つづく)

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